昨日(9/20)、北海道電力は送配電部門を担う分割準備会社を2019年4月に設立し、2020年4月に分社化すると発表しました。
新しく送配電を担う「北海道電力ネットワーク」は北海道電力の100%子会社です。
北電は持ち株会社となり発電・小売り事業を保有することになります。

この記事を読むと、「ああ、地震の影響なのかな」と考える方もいるかも知れませんが、それは違います。
もともと電気事業者は、2020年4月までに送配電部門の分離を、ガス事業者は2022年4月までにガスの導管部門を分離することが法的に決まっています。

電線

そして地震の影響で、もう一つの北海道のインフラ事業者であるJR北海道の経営危機が進み、既存路線の維持がますます困難になるだろうと報道されています。

この二つの出来事から考えてみました。
まず、なぜ送配電やガスの導管部門が分離されるのか。
その理由はご存じの方が多いと思います。
一応簡単に説明しておきます。

電気であれ、ガスであれ、また、農産物や魚介類、あるいは電気製品であれ、物というものは、生産者がいて消費者がいます。
そして生産者から消費者の元に商品を運ぶ業者がいて経済活動が完結するわけですね。
もちろん、小売り業者や料金収受などのサービスを担う業者なども必要です。

だから、大雑把に考えると、業者は、「生産・製造」、「販売・サービス」、「輸送」の三部門に分けられます。
ところが、電力やガスでは生産業者が輸送も担っていました。
そうすると必然的に販売も独占することになります。
だって作っても運べないですからね。
それは消費者からすると不明瞭なことが起こりやすい状況です。
だから、生産と輸送を分離することにしたのです。
この結果、他業界からの進出が容易になり、電力会社やガス会社、あるいはネット業者などによる顧客の奪い合いが生じているわけです。
業者間の競争は消費者にとって有利に働くだろうと考えられています。
まあ、資本主義社会の経済活動としては当たり前のことです。
我が国が遅れていただけのことです。

今回のテーマはこのことではありません。
危機的状況にある鉄道や水道などの社会インフラで、このような手法が活かせないのだろうか、ということです。

まず道路について考えてみましょう。
どんな地方にいっても、国道が社会の交通を担う幹線網として整備されています。
高速道路網も随分増えましたね。
これらの整備には莫大な国費が投入されています。
国道はその維持管理も国が全てを担っています。
そうしないと、人口の少ない地方では負担に耐えられないからです。
そうやって全国的な基幹道路網が維持されているわけです。

次に水道を見てみましょう。
水道は人が生きるために最も不可欠なインフラですが、ほぼ市町村レベルで運用されており、人口減少社会を迎えた地方では採算化が困難な状況に陥っています。
もちろん、交付金などによる国費の投入はありますが、会計的にも独立採算を求められているため、いつ経営が崩壊しても仕方ないような状況に直面しています。
網の目のように張り巡らされた配水管の修繕や更新コストが老朽化のために増大しているからです。
また人口の少ない地方では需要量は減少する一方です。
せめて幹線網だけでも切り放して考えることができないのかと思います。

そして、本州を除く、北海道、四国、九州のJRの線路網もまた同じ状況にあります。
地方における人口の減少は鉄道の経営を圧迫し、広大な線路網の維持が困難になっているからです。

鉄道廃止

でも、鉄道だって鉄道網の整備・維持管理、鉄道の運行、小売り・サービスなどに分離できると思いませんか。
せめて幹線線路網の敷設や維持管理には国費を投入し、鉄道網を使った列車の運行やサービスには民営業者の進出を容易にする。
ほんの数機の飛行機を保有するLCC(格安航空会社)のような鉄道会社ができるかもしれません。
JRが民間業者に車両を貸し出してもいいのです。

多くの民間業者がアイデアを競い合えば顧客を呼び込める鉄道の運行が可能かも知れません。
経営が改善すれば、地方における最低限の鉄道網を残すことができるはずです。
私は、弱者が必要とするものをどれだけ残せるかこそが国の文明度を測る尺度だと考えます。

社会インフラは人が生きるために欠かせないものです。
ところが、そのためにはサービスを提供するためのネットワーク網が必要です。
それは道路だったり電線だったり地下に張り巡らされたパイプだったり、電波網だったりします。
そうした基盤は社会全般のためのものですから、社会全般で整備や運用のコストを担う。
もちろん受益者からは多少の傾斜的な負担はあってもいいと思います。

現在の税体系ではどうしても都市に(はっきり言うと首都圏に)税収が偏ってしまいます。
その税収を地方のインフラ整備に振り向けることは地方出身者が多い首都圏では理解されやすいと思いますけどね。
首都圏にとっても人口集中の緩和が望まれているのですから。
そして、それは確実に地方創生に繋がるはずです。

そもそも、我が国の国民はどこで暮らしていても最低限度の暮らしは保障されるはずです。
でも、そのためには最低限の社会インフラが保障されなければなりません。

このままでは、北海道や四国からは鉄道がほとんどなくなってしまいます。
それは末梢神経が失われた身体のようなもので、本州の都市圏で暮らす住民にとっても不幸なことです。

水道事業がおかれた現状を見てみましょう。
過疎地の水道事業は既に危機に直面しています。
高齢化した地方では、非効率な浄水コストとパイプ網の維持管理負担のため水道代が何万円にもなってもおかしくありません。
需要量は減る一方なのにパイプ網の維持に要する費用は増大し、ますます経営を圧迫するからです。
でも、水がないと生きられないでしょう。
鉄道のように路線廃止することもできません。
自治体は国の意向に逆らいながら、何とか税収を投入してしのいでいます。

だって貧しい高齢者に対して、水に何万円も払えと言えますか?
そんなこと分かりきっているのに、国は知らん顔で先送りしてきたのです。
そして自治体の苦労も考慮せず、独立採算でやれと無理難題を押し付けているのです。

彼らは、まるで全てが少子高齢化のせいのように言います。
でもそれを招いたのは我が国の社会でしょう。
厚労省の施策は愚策ばかりです。
実は、介護費用だって健康保険料だって、全く同じ構造なのです。
この官庁には政策立案能力が欠如しているようです。

私は鉄道オタクじゃないけど、世間には鉄道オタクが沢山います。
確か政治家にも結構いるはずだけど。
もっと声を上げろよ、と言いたい。
社会インフラの構築と維持を誰が担うかはとても重要な議論なのです。
鉄道だけの問題ではないのです。

そしてこれが解決すれば多くの問題が解決します。
高齢者の地方への移住も進みやすくなります。
今のままでは高齢者や経済弱者の地域間における押し付け合いが必ず始まります。
なぜ、そんな簡単なことが分からないのだろう。
生産性が劣るからと言って弱者を排除するような考えは誤っています。
国民の医療や介護は、誰もが公平に享受するためには自治体ではなく国が負担すべきなのです。

国民が生きるために必要な基幹的な社会インフラと最低限の生活基盤は国が責任を持って整えるべきものなのです。
それが公平というものです。
考えてもみてください。
国民健康保険料」が住む場所によって違うなんて変だと思いませんか。
与党の皆さんでも野党の皆さんでもいいから、まともな議論をして欲しいものです。